2024年9月22日
普段はつじ恵推しです記事が多いこのサイトですが、今回は現職の根本幸典さんについて色々とみていこうと思います。まず根本幸典さんのプロフィールを見てみましょう。
根本幸典さんは1965年2月21日が誕生日です。1965年というと一回目の東京オリンピックの翌年ですね。東海道新幹線もすでに開通していた年代です。
杉山小学校は豊橋市内でも田原市に近い小学校で渥美半島の付け根にある地域です。
章南中学校は豊橋市内でも田原市に近い中学校です。何年か前に浜名湖での野外学習中に不幸な事故があった中学校です。今でも「豊橋・学校いのちの日」としてその時の記憶をつないでいます。
当時は豊橋市の高等学校は学校群第1群で歴史ある時習館高校と歴史の浅い豊橋南高校に振り分けられました。現在の豊橋市長の浅井由崇さんや豊橋名産ヤマサのちくわの社長、佐藤元英さん、元F1レーサーで自民党の国会議員、山本左近さん、そして僕も豊橋南高校の出身です。
一年浪人か留年したんですね。まぁ僕は1年浪人、1年留年そして中退なので(^ワ^=)
まぁこのあたりから怪しくなってきますね。
リクルート事件とは?
リクルート事件については僕はまだ学生で遊び惚けていたと思うのでChatGPTに答えを求めました。
リクルート事件は、1980年代後半に日本で発覚した大規模な汚職事件で、政界や財界を巻き込んだスキャンダルです。事件の中心には、リクルートコスモス社(現:リクルート)が発行した未公開株がありました。
事件の概要
リクルートは、当時急成長していた企業で、不動産関連の子会社「リクルートコスモス」がありました。リクルートは、1986年から1987年にかけてこのリクルートコスモス社の未公開株を政財界や官界の有力者に譲渡していました。この株が後に上場されると、株価は急騰し、未公開株を取得した人々は大きな利益を得ました。この利益供与が賄賂にあたるとして問題が発覚しました。
事件の影響
リクルート事件は、1988年から1989年にかけて日本の政治に大きな影響を与えました。当時の竹下登首相をはじめ、多くの政治家や官僚が株を受け取っていたことが明らかになり、多くの辞任や逮捕者が出ました。これにより、政治不信が広がり、竹下内閣は1989年に総辞職するに至りました。
その後
リクルートの創業者である江副浩正も起訴され、懲役刑を受けることになりました。また、事件をきっかけに、政治家と企業の関係に対する批判が高まり、政治資金規正法の改正など、政治とカネに関する法整備が進む契機となりました。
リクルート事件は、日本の政界と財界を揺るがした汚職事件として、現在も語り継がれています。
という訳でリクルート事件の真っ只中の時にリクルートに就職したんですね。
根本幸典さんの政治資金収支報告書をチェック
さて、話は変わって自民党の裏金事件。
我らが根本幸典さんもしっかり裏金作っていました。
根本幸典さんが代表を務める「日本の未来を考える会」の政治資金収支報告書がこちら
ページ数が多いので一部抜粋してスクショ画像を掲載します。
政治資金パーティでの収入
豊橋市内のロワジールホテルで1769万円の政治資金パーティーを開催しています。どんな人がパーティー券を購入しているか簡単に想像できますね。
その他収入についても支出についても自営業者の僕から見れば…
こんな適当でいいんだー
と、うらやましくなります。
冗談はさておき、裏金を作っておきながらこんないいかげんな収支報告書でごまかそうとする人って信用できます?僕は少なくとも仕事上では取引はしたくない。
国会議員は私たちの暮らしを国会で代弁してくれる人。こんな裏金作りに勤しむ人に任せられるはずがありません。
とりあえず「根本幸典さんはチェンジで」ヾ(`◇’) NO!