「失われた30年」を満喫した僕

私たちが「つじ恵」を推す理由

ニセコひらふ

僕は昭和40年生まれです。

両親は高度成長期を満喫した世代で働けば働いただけ収入が増えるという分かりやすい世代です。

さて、昭和40年生まれの僕はどうでしょうか?

1年浪人して北海道大学に入学した僕。

愛知県から北大に入学するなんて当時は殆ど変わり者。でも。どうしても北海道の自然にまみれたくて1年浪人してまで北海道大学を選択しました。1年浪人した経緯は親の事情もあり、まぁそれを書くと長い話になるので省略します。もしかするとどっかで記事にするかもしれません。

バブル絶頂の学生時代

さて僕が大学に入学したのは昭和60年。まさにバブルに突入しようという時期でした。今思い返しても大学2年生だった頃のサークルの先輩たち、バイト先で知り合った人たちの羽振りは本当によかったですね。僕より5歳くらい年上の生命保険会社に勤めていた方などは20代半ばで月給は60万とか普通でした。

で、一方で僕がバイトしていた飲食店にリクルーターとして来道した後一人で呑んで空の領収書を持って帰る。後で聞いたら記入した金額は10万とかザラ。ホストクラブじゃあるまいし僕みたいなのが店員の店で一人で呑んで10万なんてありえませんがそれが経費として認められたのがバブル期でした。

そういうのを見ていて割と潔癖症の僕は「こういう大人にはなりたくない」と大学を辞めてしまいました。時々、当時の教授や先輩方の意見を尊重し、

とりあえず、卒業だけはしておこうよ。

卒業しておけばよかったかな?と思ったりすることもあります。でもきっと病んじゃう気がするんです。近年あった森友学園問題で自死された赤木さん。なんだか他人事とは思えないんです。そんな経緯もあって僕はれいわ新選組のつじ恵さんを全力で応援したいと思っています。

自営業を目指した僕のおはなし

さて、そんな経緯もあり、僕は大学を辞めましたがそれでもやっぱり食べていかないといけない。料理は得意だったし好きだったので飲食業に勤めることになりました。ところが飲食店は今でもそうですが社会的には最低賃金です。様々なノウハウを学べることはいいのですがやっぱり独立資金を蓄えるのはかなり厳しい。

30歳までの独立したいと思い、何とか客席数20人くらいの小さなお店を開くことができました。ただ、観光地の飲食店というのは客足に波があり過ぎます。加えてバブル崩壊、北海道経済の低迷のあおりを正面から受けることとなりました。

詳しいお話をするとこのサイトの趣旨とどんどん遠ざかってしまうのでここでは書きません。ただ、バブル崩壊後に社会人になったいわゆるロスジェネ世代も大変と思いますが、社会に出た途端、バブル崩壊&失われた30年に突入…そしてそれを満喫する僕らのような世代のも結構きついです!

両極端な僕らの世代

社会人になってすぐに失われた30年が始まった世代というのは結構分断が顕著なんです。派遣労働も始まった当時は派遣社員の方が時給換算では高給なんてことは普通でした。なので将来独立を目指した友人達には敢えて派遣社員を選んだ人も多かったです。

正社員なんかを選ぶ方が保守的な友人を、

若いうちにチャレンジしようぜ!

なぁんて思ったものです。

しかしです。日本では基本的に一度でも起業に失敗すると立ち直ることはほぼ不可能です。僕自身も3000万くらいの負債を抱えつつも起業し、様々なことがあって途中で廃業しましたが、立ち直るための方法はただ一つ。

まずは借りた金はテメーで全部返せ!

という事でした。借金を踏み倒すつもりはありませんが起業に失敗したときから立ち直りまでの道のりが遠すぎるのが今の日本ではないかと思うんです。

起業するために必要なこと

様々なビジネスを始めようとする僕よりはるかに若い人たちを見てきましたが…

起業に成功するためには…まずは現職の議員さん特に国会議員と仲良くすること。

おかしくないですか?

もちろんそうじゃないという人もいるでしょうし、国会議員や県議、市議とは何のかかわりも持たない人でも起業に成功した人もいるかもしれません。

ただ、僕の知る限りでは…

現職の国会議員のセンセー方に寄り添うのが、起業成功への近道なのかな…と思ったりします。

健全とは言えませんけどね。